日本代表とパラグアイ代表は、これまでに公式戦や親善試合を通じて11回対戦しています。
とくに2010年の南アフリカW杯でのPK戦は、日本サッカーファンの記憶に深く刻まれているでしょう。
この試合は、当時の日本が“ベスト8の壁”に阻まれた瞬間であり、パラグアイとの因縁の始まりでもありました。
その後の親善試合では日本が勝ち星を重ね、戦績は大きく傾きつつあります。
では、実際に過去11試合の成績はどうだったのか?
この記事では、各対戦のスコアと背景、そして当時の世界ランキングを含めて振り返ります。


日本代表とパラグアイの対戦成績は?

日本代表とパラグアイ代表は、これまで国際Aマッチで11回の対戦を重ねてきました。
通算成績は、日本が5勝・4分・2敗と勝ち越しており、とくに近年はリードを広げる展開が続いています。
2025年10月時点のFIFA世界ランキングでは、日本が19位、パラグアイが37位と、順位の面でも日本が優位に立っています。
初対戦は1995年の親善試合。それ以降も、W杯本大会やコパ・アメリカ、キリンチャレンジカップなど、さまざまな舞台で対戦を重ねてきました。
中でも記憶に残るのは、2010年の南アフリカW杯・決勝トーナメント1回戦での直接対決です。
このときは延長を経て0-0、PK戦でパラグアイに惜敗という、まさに運命の一戦となりました。
全11試合の戦績一覧 スコアと当時の世界ランキングで振り返る

ここでは、日本代表とパラグアイ代表が過去に行った国際Aマッチ11試合を、当時のFIFAランキングとともに一覧で振り返ります。
「どちらが格上だったのか」
「日本がいつごろから優位に立ち始めたのか」
など、数字から見えるストーリーにも注目してください。
No | 日付 | 種別 | 会場(国) | スコア | 結果 | 日本 ランク | パラグアイ ランク |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1995/ 09/20 | 親善試合 | 東京 (日本) | 1 - 2 | 敗戦 | 41位 | 81位 |
2 | 1998/ 05/17 | キリンカップ | 東京 (日本) | 1 - 1 | 引き分け | 11位 | 29位 |
3 | 1999/ 07/02 | コパ・ アメリカGL | アスンシオン (パラグアイ) | 0 - 4 | 敗戦 | 42位 | 21位 |
4 | 2001/ 07/01 | キリンカップ | 札幌 (日本) | 2 - 0 | 勝利 | 33位 | 10位 |
5 | 2003/ 06/11 | キリンカップ | さいたま (日本) | 0 - 0 | 引き分け | 23位 | 19位 |
6 | 2008/ 05/27 | 親善試合 | さいたま (日本) | 0 - 0 | 引き分け | 37位 | 24位 |
No | 日付 | 種別 | 会場(国) | スコア | 結果 | 日本 ランク | パラグアイ ランク |
7 | 2010/ 06/29 | W杯決勝T 1回戦 | プレトリア (南ア) | 0 - 0 (PK3-5) | 引き分け (PK敗) | 45位 | 31位 |
8 | 2010/ 09/04 | 親善試合 | 横浜 (日本) | 1 - 0 | 勝利 | 32位 | 15位 |
9 | 2018/ 06/12 | 親善試合 | インスブルック (オーストリア) | 4 - 2 | 勝利 | 61位 | 32位 |
10 | 2019/ 09/05 | キリン チャレンジC | 鹿嶋 (日本) | 2 - 0 | 勝利 | 31位 | 40位 |
11 | 2022/ 06/02 | キリン チャレンジC | 札幌 (日本) | 4 - 1 | 勝利 | 24位 | 50位 |


対戦の始まりは1995年 親善試合から始まった歴史

日本とパラグアイが初めて対戦したのは、1995年9月20日、東京・国立競技場で行われた国際親善試合でした。
この頃の日本代表は、まだJリーグが開幕して2年目で、国際舞台の経験も多くはありませんでした。
一方で、パラグアイは南米予選で揉まれてきた実力国であり、当時の世界ランクでは日本よりはるかに下位ながらも、南米らしい堅い守備とカウンターを持ち味としていました。
試合は1-2で日本が敗れましたが、南米のチームと本格的にぶつかる機会が増え始めた象徴的な一戦でもあります。
この初対戦を皮切りに、両国は数年ごとに親善試合や大会で顔を合わせる関係となっていきました。
2010年南アW杯 歴史に残る“運命のPK戦”

日本とパラグアイの対戦で、最も記憶に残っているのが2010年FIFAワールドカップ・南アフリカ大会の決勝トーナメント1回戦です。
グループリーグを突破した日本代表は、初のベスト8進出をかけて南米の実力国・パラグアイと対戦しました。
試合は90分+延長30分を戦い抜いても得点が入らず、スコアは0-0のままPK戦へ突入。
そして3人目のキッカー、駒野選手のシュートがクロスバーを叩き、日本はPK戦3-5で敗退となりました。
あと一歩で届きそうだったベスト8という扉が閉ざされた瞬間であり、多くの日本人にとって“心の痛み”として残る試合です。
この一戦を境に、パラグアイとの対戦は単なる親善試合ではなく、「乗り越えるべき壁」という意味を持つようになっていきます。
その後の対戦で日本がリベンジを重ねてきた

2010年W杯の悔しい敗戦から、日本代表はパラグアイに対して確実に力をつけた姿を見せていきます。
まず注目すべきは、2018年6月にオーストリアで行われた親善試合での4-2の快勝。
この試合はW杯直前のテストマッチとして位置づけられ、チームの自信にもつながりました。
さらに2019年のキリンチャレンジカップでは2-0、2022年には4-1と連勝を重ね、近年3連勝中(2018〜2022)と、対戦成績を上回るようになっています。
試合内容も主導権を握る展開が多く、得点力や守備の安定感、そして選手層の厚さなど、日本代表の成長を数字と内容の両面から証明しています。
こうした積み重ねが、「もはや日本が格上なのでは?」という見方すら生むようになりました。
まとめ:パラグアイ戦の歴史を知れば、10月10日の意味が深まる
日本代表とパラグアイ代表の過去の対戦は、単なる親善試合の積み重ねではありません。
初戦は1995年、そして2010年にはW杯ベスト8をかけた激闘を演じ、その後は日本が勝ちを積み重ねてきました。
戦績だけでなく、内容やスコアの変化からも日本代表の進化を実感できます。
だからこそ、2025年10月10日に行われる再戦は、“歴史の続きを描く舞台”として注目されているのです。
過去11戦の重みを知った上で観るこの試合は、きっと見え方が変わってくるはずです。

