日本代表とブラジル代表は、これまでに公式戦や親善試合を通じて13回対戦しています。
2025年10月現在のFIFA世界ランキングでは、日本が19位、ブラジルが6位と、いまだ大きな差があるのが現実です。
“王国ブラジル”との一戦は、いつの時代も日本サッカーの現在地を測る試金石として位置づけられてきました。
試合のたびに世界との差を痛感させられながらも、その中には互角に戦った試合や、大きな手応えを得た一戦も確かに存在します。
ブラジルに挑むことは、日本にとって恐れではなく、むしろ成長の証明となりつつあるのです。
10月14日に行われる注目の対戦を前に、これまでの全13試合を振り返ることで、日本代表が歩んできた道のりと今の立ち位置が見えてきます。
この記事では、各試合のスコアや当時の世界ランキング、背景を交えながら、過去の戦いとその意味を深掘りしていきます。


日本代表とブラジルの対戦成績は?

日本代表とブラジル代表は、これまでに国際Aマッチとして13試合を戦い、通算成績は0勝2分11敗と、日本にとって非常に厳しいものとなっています。
得点数でも日本の5点に対し、ブラジルは35点と圧倒的な差があり、歴然とした実力の開きが数字に現れています。
とはいえ、すべての試合が一方的だったわけではなく、とくに2000年代以降は接戦に持ち込む場面も増えています。
2005年のコンフェデレーションズカップでは、攻撃力に優れた当時のブラジル代表を相手に2-2の引き分けを演じ、世界中の注目を集めました。
このように、個々の戦術理解や守備力の向上、選手層の充実など、日本の進化を感じさせる試合は着実に積み重なってきたのです。
その意味で、ブラジル戦は「いまだ勝てていない試合」ではなく、「日本が世界とどこまで戦えるのか」を測る実戦テストとして、大きな意義を持ち続けています。
全13試合の戦績一覧 スコアと当時の世界ランキングで振り返る

ここでは、日本代表とブラジル代表が過去に行った国際Aマッチ13試合を、当時のFIFAランキングとともに一覧で振り返ります。
親善試合からW杯・コンフェデ杯まで、さまざまな舞台で両国が対戦してきました。
スコアの傾向を見ると、時期によって大差の試合もあれば、接戦に持ち込んだ試合もあります。
長年続く強豪ブラジルとの対戦は、日本サッカーがどの段階でどのように挑んできたかを映し出す記録といえます。
No | 日付 | 種別 | 会場 (国) | スコア | 結果 | 日本 ランク | ブラジル ランク |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1989/ 07/23 | 親善試合 | リオ (ブラジル) | 0-1 | 敗戦 | ― | ― |
2 | 1995/ 06/06 | アンブロ杯 | リバプール (イギリス) | 0-3 | 敗戦 | 33位 | 1位 |
3 | 1995/ 08/09 | 親善試合 | 東京 (日本) | 1-5 | 敗戦 | 33位 | 1位 |
4 | 1997/ 08/13 | 親善試合 | 大阪 (日本) | 0-3 | 敗戦 | 17位 | 1位 |
5 | 1999/ 03/31 | 親善試合 | 東京 (日本) | 0-2 | 敗戦 | 37位 | 1位 |
6 | 2001/ 06/04 | コンフェデ杯 GS | 鹿嶋 (日本) | 0-0 | 引き分け | 33位 | 2位 |
7 | 2005/ 06/22 | コンフェデ杯 GS | ケルン (ドイツ) | 2-2 | 引き分け | 18位 | 1位 |
No | 日付 | 種別 | 会場 (国) | スコア | 結果 | 日本 ランク | ブラジル ランク |
8 | 2006/ 06/22 | W杯GS | ドルトムント (ドイツ) | 1-4 | 敗戦 | 18位 | 1位 |
9 | 2012/ 10/16 | 親善試合 | ヴロツワフ (ポーランド) | 0-4 | 敗戦 | 23位 | 14位 |
10 | 2013/ 06/15 | コンフェデ杯 GS | ブラジリア (ブラジル) | 0-3 | 敗戦 | 32位 | 22位 |
11 | 2014/ 10/14 | 親善試合 | シンガポール | 0-4 | 敗戦 | 52位 | 6位 |
12 | 2017/ 11/10 | 親善試合 | リール (フランス) | 1-3 | 敗戦 | 55位 | 2位 |
13 | 2022/ 06/06 | 親善試合 | 東京 (日本) | 0-1 | 敗戦 | 24位 | 1位 |
対戦の始まりとその背景

日本代表がブラジルと初めて対戦したのは、1989年7月に行われた親善試合でした。
この当時、日本はまだW杯に一度も出場したことがなく、国際的な評価も決して高くはありませんでした。
一方のブラジルはすでに3度のW杯制覇を経験しており、世界最高峰の実力を誇る“王国”として君臨していました。
ピッチに立っただけで「夢の舞台」と言われていた時代、0-1というスコアはむしろ健闘と捉えられていたほどです。
その後、Jリーグ創設(1993年)やW杯初出場(1998年)を経て、日本は着実に国際舞台での地位を高めていきます。
そしてブラジルとの対戦も、ただの“憧れ”から“挑戦”へと意味合いが変わりはじめました。
1990年代後半から2000年代にかけては、定期的に親善試合が組まれるようになり、徐々に対戦回数も増加。
この背景を知ると、1試合ごとのスコアや成績だけでは測れない、日本サッカーの歩みと“距離の変化”が見えてきます。
番外編:日本がブラジルに勝った“奇跡の一戦”

A代表の国際Aマッチではいまだ勝利がない日本代表ですが、五輪代表の舞台では歴史的な勝利が刻まれています。
それが、1996年アトランタ五輪・グループリーグ初戦での日本対ブラジル戦です。
舞台はアメリカ・マイアミ。世界中が注目する中で、前園真聖のパスに反応した途中出場の伊東輝悦が決勝点を挙げ、日本は1-0の勝利を収めました。
このブラジル代表には、ロベルト・カルロスやリバウド、ベベットら当時のトップ選手が名を連ねており、下馬評では圧倒的に不利とされていた日本の勝利は、まさに“奇跡”として世界を驚かせました。
この試合は後に「マイアミの奇跡」と呼ばれ、日本サッカー史に残る名勝負として語り継がれています。
オリンピックでは年齢制限(U-23)がありますが、それでもブラジルとの真剣勝負で勝利を収めた事実は、代表チームの進化と可能性を象徴する一戦といえるでしょう。
ブラジル相手に“あと一歩”だった試合たち

ブラジルとの通算成績こそ0勝に終わっている日本代表ですが、すべての試合が一方的な展開だったわけではありません。
過去には内容面で互角に渡り合い、あと一歩で勝利に届きそうだった試合がいくつか存在します。
とくに印象的なのが、2001年のコンフェデ杯でスコアレスドローに持ち込んだ一戦と、2005年に同じくコンフェデ杯で2-2と引き分けた試合です。
前者では川口能活のビッグセーブが光り、後者では中村俊輔のFKと大黒将志の同点弾が世界を驚かせました。
また、記憶に新しい2022年の国立での一戦では、ネイマールのPKによる1失点のみに抑え、守備の整備と戦術理解の深さを示しました。
こうした試合では、組織力やメンタルの成長が随所に見られ、かつて“夢の舞台”だった相手に実力で迫る姿が確かにありました。
たとえ勝利には届かなくても、日本サッカーが「世界と戦える段階に来た」ことを証明した試合たちと言えるでしょう。
今回の対戦もまた、その延長線上にある一戦です。
10月10日のパラグアイ戦から、14日のブラジル戦へ

10月10日に行われるパラグアイ戦は、日本代表にとって南米勢との連戦の初戦となります。


この試合では、新戦力のテストや戦術の確認といった“強化”の意図が色濃く見られると考えられます。
選手たちにとっては、4日後に控えるブラジル戦へ向けて、自らの存在感を示す重要なアピールの場となるでしょう。
一方で、森保監督としても限られた準備期間のなかで、チームの完成度を高めるための実戦的な試行が求められます。
その成果が14日のブラジル戦にどうつながるかは、多くのファンや関係者が注目するポイントです。
2試合の連動性こそが、2026年W杯へ向けた日本代表の強化プランを読み解くカギになるかもしれません。
まとめ:積み重ねた歴史の先に、挑むべき一戦がある
日本代表はこれまでブラジル代表と13度にわたって対戦し、通算成績では大きく水をあけられてきました。
しかし内容を振り返れば、守備の成熟や戦術の進化を背景に、接戦へ持ち込んだ試合も少なくありません。
一方的に敗れた時代から、“世界と戦える瞬間”を積み上げてきたこの道のりこそ、日本サッカーの成長の証といえます。
そしていま再び、王国ブラジルと対峙することは、自らの現在地を知る上で極めて重要な意味を持ちます。
10月14日に東京で行われる一戦は、その積み重ねの先にある、新たな挑戦の舞台です。

